野口英世ってどんな人?その功績や死因、1000円札に起用された理由を解説!

 

みなさん、こんにちは!

 

今回は日本の歴史上でも特に有名な、野口英世について紹介していきます。

1000円札にも描かれているので、非常に馴染みの深い人物ですよね。

 

誰もが1度は習ったことがあると思いますが、意外とどんな人だったか忘れがちですよね。

そこで今回は、このページを読めば大体の人物像が分かるように紹介していきます。

 

野口英世についてのまとめも書いてみたので、ぜひ最後まで読んでみてください!

野口英世ってどんな人?

 

 

まずどんな人生を歩んできたのか、年表にまとめてみました。

 

これが野口英世の年表です!

 

西暦  (年齢)

1876年 (0歳) 福島県三ツ和村三城潟にある貧しい農家の子供として生まれる。

1878年 (1歳) 左手に大火傷を負い、手が開かなくなる。

1883年 (6歳) 三ツ和小学校に入学するが、やけどが原因でいじめを受ける。

1889年 (12歳) 高等小学校の教頭が代わりに学費を出してくれたため、進学をする。

1892年 (15歳) 同級生や、教師たちの募金により、左手を治す手術を受けることができる。

1897年 (21歳) 医学の試験に合格し、医者になる。

1898年 (23歳) 名前を「清作」から「英世」に改名する。

1900年 (24歳) アメリカに渡り、毒ヘビの研究を始める。

1911年 (36歳) 梅毒スペロヘータの純粋培養に成功する。アメリカ人女性と結婚する。

1918年 (43歳) エクアドルでまだワクチンのなかった黄熱病の病原体を発見する。

1928年 (53歳) ガーナで亡くなる。

 

どうでしょうか。とても壮絶な人生ですよね。

ここから分かるように、大きな転機はいくつかありますが特にこの3つが重要になっていると思います。

 

それが、

  1. 左手を治す手術を受けたこと
  2. 医学の試験に合格したこと
  3. 渡米したこと

 

まず1つ目は左手を治す手術を受けたことです。

野口英世はこの手術がきっかけで、医者になりたいと思ったそうです。

 

元々、高等小学校の教頭に認められるほど優秀でした。

そしてこの手術が彼の優秀さを医療の方向へと向けさせたので、とても大きな転機だったはずです。

 

2つ目は医学の試験に合格したことです。

医師の資格は難易度が高いので、非常に時間がかかります。

 

ですが野口英世はたったの1年ちょっとの時間で試験に合格してしまいます。

ここでの試験合格がなかったら、もしかしたら今後の功績はなかったかもしれません。

 

3つ目は渡米をしたことです。

渡米した後に研究した毒ヘビの論文が評価されます。

 

この後いろんな国へ行き研究をしますが、この渡米での研究が、後の研究のモチベーションになってきます。

なのでアメリカに渡ったことは大きな転機と言えます。

 

野口英世の人生の流れが分かっていただけましたか。

 

次に野口英世にはどんな功績があるかを紹介していきますね。

 

野口英世の功績とは?

 

ここでは野口英世の3つの功績を簡単に紹介していきます。

1つずつ見ていきましょう。

 

野口英世の功績1、毒ヘビの研究

 

 

1つ目は毒ヘビの研究です。

 

毒ヘビの研究は、野口英世の人生の中で初めて評価を得た研究です。

なんとこの研究をしていた年齢は24歳です!とても賢かったことが分かりますよね。

 

どんな内容だったかというと、毒ヘビの毒の性質などを調べ、毒ヘビに噛まれた時の対処法についての研究です。

そしてこの研究がアメリカで大きく評価され、野口英世の人生の転機となります。

 

野口英世の功績2、梅毒スペロヘータの研究

 

 

2つ目は梅毒スペロヘータの純粋培養に成功します。

 

梅毒は性病の一種で、最悪死に至ることもある病気です。

野口英世は患者の脳から、この梅毒の病原体を発見します。

 

この功績もあり、野口英世は世界中から認められるようになり、3回もノーベル賞候補になります。

 

ですが後の研究者の中でこの純粋培養の成功例が1度もなく、実は間違っていたのではないかと言われています。

 

野口英世の功績3、黄熱病の研究

 

 

3つ目は黄熱病の研究です。

この研究はとても有名なものですよね。

 

黄熱病とはウイルスが体の中に入り、最終的に死に至る恐ろしい病気です。

野口英世はこの病気の研究を、色んな国で行なっていました。

 

野口英世はこの黄熱病の病原体として細菌を発見します。

そして黄熱病のためのワクチンも作りました。

 

ですが、のちにこの黄熱病の病原体だと思われていたものは、実はウイルスだと分かります。

細菌とウイルスは全くの違う性質なので、野口英世の研究結果は間違っていたことになります。

そうすると自然に、ワクチンも効果がないものだったとみなされます。

 

以上が野口英世が生涯を通じて研究をしてきたことです。

 

意外と失敗していることが多いですよね。

ですがそれでも歴史に名を残す、素晴らしい研究者だったことが分かります。

 

次に野口英世の死因について紹介していきます。

野口英世はどんな病気になったの?その死因とは?

 

野口英世の死因とされているのは黄熱病です。

 

野口英世が黄熱病の研究をしている最中に、自身も黄熱病に感染してしまうのです。

これからも分かるように、野口英世の黄熱病の研究は失敗に終わってるということです。

 

なぜなら、本当に黄熱病のワクチンができていたならば、自身の黄熱病も治せるからです。

 

ですが、野口英世が黄熱病を発症したのは黄熱病が流行していない地域なのです。

なぜ黄熱病にかかってしまったのか、このことの真相は未だに分かっていません。

 

野口英世は何で1000円札に起用されたの?

 

 

野口英世が1000円札に起用されていることは誰でも知っていますよね。

でもなんで1000札の肖像になったか意外と知らない事実だと思います。

 

紙幣に起用されるにはこんな条件があります

  • 日本人が世界に誇れるような人物であり、知名度が高い人。
  • 偽造防止のため精密な写真が残っていて、特徴的な顔立ちの人物。

 

これらが、選ぶときに重視される条件だそうです。

 

確かに野口英世はさまざな功績を残しているため、世界に誇れる人物ですよね。

そして海外での活動も多いため、知名度も高いと思います。

 

顔立ちも特徴的なヘアスタイルだったりと、非常に覚えやすいと思います。

 

こういう理由で野口英世は1000札の肖像となりました。

野口英世のまとめ

 

ここまで野口英世について紹介してきました。

とてもすごい人物だと分かっていただけたのではないかと思います。

 

最後に簡単にまとめていきます。

 

野口英世の転機

  • 15歳に左手の火傷の痕を治す手術を受けたこと
  • 21歳に医学の試験に合格したこと
  • 24歳にアメリカに渡米して、毒ヘビの研究を始めたこと

 

野口英世の功績

  • 毒ヘビの研究
  • 梅毒スペロヘータの研究
  • 黄熱病の研究

 

野口英世が紙幣の肖像に選ばれた理由

  • 日本人が世界に誇れて、知名度が高いから。
  • 精密な写真が残っていて、特徴的な顔立ちをしているから。

 

野口英世が亡くなった原因

  • 黄熱病の感染

 

とても壮絶な人生で、研究熱心な人物でしたね。

以上が野口英世の人物紹介でした。

 

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